酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

2563 石坂周造墓(台東区谷中5-4-7・全生庵)

石坂 周造(いしざか しゅうぞう、天保3年1月1日1832年2月2日) - 明治36年(1903年5月22日)は、幕末の志士。尊皇攘夷論者。明治期には石油産業の祖として知られる。幼名は源造、号は宗順(そうじゅん)。江戸では彦根藩脱藩浪士を自称していた。


信濃国水内郡桑名川村(現・長野県飯山市)に渡辺彦右衛門の次男として生まれる[1]。6歳で飯山の英岩寺に入門するが、11歳で高源院に移る。その後江戸に出て石坂宗哲の養子となり、清河八郎と共に尊皇攘夷運動に荷担し、「虎尾の会」に参加する。幕府を欺いて浪士組を結成。浪士組(後、新選組新徴組に分離)頭取の一人に就任して文久3年(1863年)3月、京都に入った。京都に入ってからも清河八郎らと尊皇活動を続けて、水戸藩出身の芹沢鴨佐幕派近藤勇らに反感を買う。石坂自身も上洛道中より近藤達に良い感情を抱いていなかったらしい。


やがて京都から江戸へ帰還するよう命令が下ると、大半の浪士達を率いて江戸へ戻るが、幕府を欺いた罪により同年4月13日、幕臣佐々木只三郎らに清河八郎は斬殺され(この時石坂は八郎の首と攘夷党への連盟状を奪い返している)、石坂もまた翌14日に下総国佐原で幕吏に包囲されて5年間投獄された。預かり先を転々としながら幕府瓦解を獄中で過ごし、慶応4年(1868年)3月15日に山岡鉄舟預かりの身となる。妻の桂子は高橋泥舟の妹であり、桂子の姉・英子は鉄舟の妻である。


その後赦免されて民間事業に取り組み、石油産業で成功した[2][3]。1871年(明治4年)東京に長野石炭油会社を設立[4]。アメリカから輸入した綱掘り式掘削機械で相良油田から石油を採集した。


明治36年(1903年)、死去。享年72。鉄舟が建てた全生庵東京都台東区谷中)に眠る。


脚注

1.『下水内郡誌』

2.http://www.gijyutu.com/ooki/tanken/tanken2003/sagarayuden/sagarayuden.htm

3.http://www.cosmo-oil.co.jp/dagian/38/h4.html

4.http://www.eneos.co.jp/binran/table/history01.html


関連項目

日本石油

相良油田


参考文献

・『長野県歴史人物大事典』 郷土出版社、1989年

・滝澤忠義『信州の人物余聞』2010年


外部リンク

清河八郎関係人物録 石坂周造 - 山形県庄内町のサイト。

(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/112.html
109 清河八郎・妻阿連墓(文京区小石川3-14-6・伝通院)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/120.html
117 山岡鉄舟墓(台東区谷中・全生庵)










にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ にほんブログ村

のバナーを「ポチッ」押して応援して頂くと管理人の励みになります。