酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

2562 新井忠雄墓(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)

新井 忠雄(あらい ただお、天保6年2月7日1835年3月5日) - 明治24年(1891年2月15日)は、幕末新選組隊士。諸士調役兼監察、撃剣師範。


人物

陸奥国磐城平藩出身。母方の新井家を継ぐ。


18歳より江戸で生活し、元治元年(1864年)、31歳で新選組に入隊。


大酒飲みだったといわれ、慶応2年(1866年)9月の三条制札事件の際にも、大量の酒を飲んだ後で、泥酔状態のまま現場へ向かって戦闘に及んだという。


慶応3年(1867年)、伊東甲子太郎らと共に新選組を離脱して御陵衛士を結成。油小路事件で御陵衛士が崩壊すると、薩摩藩邸に逃げ込んで、戊辰戦争では新政府軍に所属した。


維新後、司法省官吏として明治政府に出仕した。


明治24年(1891年)死去。享年57。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/259.html
255 御陵衛士屯所跡(東山区高台寺通・月真院)










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