酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

1913 伊東義五郎墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

伊東 義五郎(いとう よしごろう、1858年6月26日安政5年5月16日) - 1919年2月22日)は、日本海軍軍人、最終階級は海軍中将男爵


経歴

信濃国松代城下石切町に松代藩士・伊東賢治の四男として生まれる。藩校文武学校を経て、1872年9月、海軍兵学寮5期)に入学。1877年西南戦争に従軍。1881年1月、海軍少尉任官。フランスドイツ差遣、海軍参謀部第3課員、「高千穂」副長心得、海軍参謀部第2課員、常備艦隊参謀、「比叡」「大和」「葛城」の各副長、佐世保水雷隊司令、「高千穂」副長、海軍省軍務局第1課員などを歴任。1894年9月、海相秘書官となり西郷従道大臣に仕えた。日清戦争では西海艦隊参謀長として出征した。


さらに、海軍省主事、フランス公使館付、「敷島艦長などを経て、1901年7月、海軍少将に進級。常備艦隊司令官横須賀鎮守府艦政部長などを歴任し、日露戦争時は横須賀工廠長であった。1905年11月、海軍中将となり、竹敷要港部司令官、将官会議議員を務め、1909年5月、予備役に編入された。1918年5月16日、後備役となる[1]


1907年9月、男爵を叙爵し華族となる。1911年から1919年まで貴族院議員を務め、大日本石油鉱業(現・帝国石油)社長にも就任した。


栄典

1895年(明治28年)11月18日 - 明治二十七八年従軍記章[2]

1905年(明治38年)11月30日 - 従四位[3]

1906年(明治39年)4月1日 - 勲二等旭日重光章功三級金鵄勲章明治三十七八年従軍記章[4]


親族

・妻 伊東満里子(1871-1945)- フランス海軍軍人テオドール・フラパース(Theodore Frappaz)の娘、フランス名マリ・ルイーズ・フラパース。1888年に16歳で伊東と結婚[5]。日本の軍人初の国際結婚[6]

・子供

 ・イザベル・ベルト・マリー桜子(1889年生)- 1909年にフランス海軍軍人Marcel ROUVIER(1881-1920)と結婚、息子にGuy(1911-1995)[7]

 ・シュザンヌ・マリー・アメリー不二子(1893年生)- 武者小路公共外交官)妻

 ・レネー・マリー清子(1895年生)- 本野盛一(外交官。本野一郎長男)妻

 ・ギー・イチ(1898年生)- パリ生まれの男児[8]

 ・マルゲリート千代子(生没年不明)- フランス海軍軍人Emmanuel ANDRIEU d'ALBAS(1894-1969)妻[9]。夫のダルバは東京のフランス大使館勤務経験があり、日本海軍の艦隊を解説した著作などもある[10]

・孫 武者小路公秀本野盛幸


詳しい事は『伊東義五郎ウィキペディア』を御覧下さい。 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E7%BE%A9%E4%BA%94%E9%83%8E

(wikiより)










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