酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

1909 尾崎忠治墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

尾崎 忠治(おざき ただはる、天保2年2月2日1831年3月15日) - 1905年明治38年)10月16日)は、日本武士政治家正二位勲一等男爵


生涯
土佐藩士尾崎源之丞の次男として生まれ、奥宮慥斎に学ぶ。


維新後の明治3年(1870年)12月、刑部大解部に就任。


翌年7月に刑部省司法省と名を変え、司法大解部、同年10月に司法少判事、同8年(1875年)5月に長崎上等裁判所長心得、同17年(1884年)12月に東京控訴院長、同19年(1886年)8月には大審院長などの司法ポストを歴任した。


同23年(1890年)8月に枢密顧問官。


同33年(1900年)5月、男爵を授爵。


同38年(1905年)に死去、享年75。青山霊園に葬られた。


栄典
1889年(明治22年)11月25日 - 大日本帝国憲法発布記念章[1]
1891年(明治24年)3月30日 - 勲一等瑞宝章
1897年(明治30年)12月27日 - 従二位[2]
1898年(明治31年)12月28日 - 勲一等旭日大綬章
1900年(明治33年)5月9日 - 男爵[3]


逸話
囲碁の腕が相当なものであったらしい。


脚注
1. 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6362.html

5525 奥宮慥斎墓(台東区・谷中霊園)


 尾崎忠治