酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

1905 岡崎久次郎墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

岡崎 久次郎(おかざき きゅうじろう、1874年1月14日[1] - 1942年3月20日)は、日本実業家政治家衆議院議員(通算6期)。


経歴

神奈川県出身。1895年東京高等商業学校(現一橋大学)卒。三井物産に入り、その後退職して大日本自転車、日米商店(のち日米富士自転車)を創業する。1912年第11回衆議院議員総選挙岐阜県から無所属で立候補して当選する。1915年第12回衆議院議員総選挙では立憲同志会公認で立候補して当選。その後一旦政界から引退し、時をおいて1928年第16回衆議院議員総選挙で神奈川3区(当時)から立憲民政党公認で立候補して当選し政界に復帰、以降4期務めた。


1940年2月、衆議院本会議で斎藤隆夫が「支那事変処理を中心とした質問演説」(いわゆる反軍演説)をした際に所属していた民政党が斎藤の議員除名に賛成する方針を取ったのに対し岡崎はこれに反対し離党して、決議では反対票を投じた[2]。この時除名反対票を投じたのは岡崎を含めて7名であり[2]、そのうち斎藤の所属政党である民政党に所属していたことがある議員は岡崎以外では1930年に行われた第17回衆議院議員総選挙に民政党公認で立候補して初当選した北浦圭太郎のみであった。なお北浦は1939年に行われた衆議院議員選挙の再選挙に無所属で立候補して2度目の当選を果たす前に民政党を離党しており、反軍演説のときは院内会派の第一議員倶楽部に所属していた[2]


後に同交会に入り、1942年に死去した。


家族

岡崎勝男外務大臣


参考文献

・『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』(衆議院、1990年)

粟屋憲太郎 著 『文庫版 昭和の歴史 第6巻 昭和の政党』 小学館1988年11月1日第1版第1刷発行、ISBN 4-09-401106-4


脚注・出典

1. 『第拾壱回改選 代議士銘鑑』、国華新聞社、1912年。

2. abc 『昭和の政党』、364頁。

(wikiより)


 岡崎久次郎










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