酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

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1904 浅田信興墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

浅田 信興(あさだ のぶおき、嘉永4年10月12日1851年11月5日) - 1927年(昭和2年)4月27日)は、日本の陸軍軍人華族。最終階級は陸軍大将男爵


経歴
武蔵国出身。川越藩士・坂口朗忠の三男として生まれ、同藩士・浅田順信の養子となる。江川英龍に師事し砲術を学ぶ。明治3年12月(1871年)、陸軍兵学寮生徒となる。明治5年(1872年)3月、陸軍少尉に任官し歩兵5番大隊付となる。1877年(明治10年)、第4旅団に編入し西南戦争に出征。1878年(明治11年)10月、陸軍士官学校教官となり、熊本鎮台参謀などを経て、1884年(明治17年)3月、陸軍少佐に進級し歩兵第2連隊大隊長に就任。


1885年(明治18年)5月、陸軍教導団歩兵大隊長となり、参謀本部陸軍部第2局第2課長、参謀本部第2局員を経て、1888年(明治21年)6月から9月まで清国に派遣された。1889年(明治22年)5月、歩兵第21連隊第1大隊長となり、1891年(明治24年)6月、陸軍中佐に昇進し第3師団参謀となる。歩兵第2連隊長、屯田兵参謀長を歴任し、1894年(明治27年)11月、陸軍大佐に進級した。


日清戦争には臨時第7師団参謀長として動員されたが、戦争終結のため現地に赴くことはなく復員した。1896年(明治29年)5月、第7師団が編成され初代参謀長に就任。東部都督部参謀長を経て、1897年(明治30年)9月、陸軍少将に昇進。1898年(明治31年)10月、歩兵第20旅団長に就任し、歩兵第5旅団長を経て、日露戦争近衛歩兵第1旅団長として出征。1904年(明治37年)9月、陸軍中将に進級し近衛師団長に親補され、沙河会戦以降の緒戦に従軍した。


1906年(明治39年)7月6日に久留米第12師団長に転じる。1907年(明治40年)9月、日露戦争の功績により男爵を授けられ華族に列せられる。1910年(明治43年)8月26日に大阪第4師団長となり、1911年(明治44年)9月に教育総監に就任(~1914年)。1912年(大正元年)8月、陸軍大将に親任される。最終官職は軍事参議官東京衛戍総督1921年(大正10年)4月に退役し、1927年(昭和2年)に77歳で死去。


1918年(大正7年)から1923年(大正12年)、大日本武徳会第7代会長。


栄典
1893年(明治26年)11月29日 - 勲三等瑞宝章[1]
1906年(明治39年)4月1日 - 功二級金鵄勲章勲一等旭日大綬章明治三十七八年従軍記章[2]
1915年(大正4年)
 ・11月7日 - 金杯一組大正三四年従軍記章[3]
 ・11月10日 - 大礼記念章[4]


親族
・妻 浅田きの 斎藤伊三郎の娘
・養嗣子 浅田良逸(陸軍中将)
・娘 中島幸子 中島正武(陸軍中将)の妻


脚注
1. 『官報』第3131号「叙任及辞令」1893年12月5日。
2. 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
3. 『官報』第1187号「叙任及辞令」1916年7月15日。
4. 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。


参考文献
秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
・福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
・外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。


関連作品
翔ぶが如く1990年、演:小田島隆
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7356.html

6420 江川英龍(太郎左衛門)墓(台東区寿2-9-7・本法寺)


 浅田信興