酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

1901 友野霞舟墓(台東区谷中3-10-22・宗林寺)

友野霞舟(ともの - かしゅう)

寛政3年 ~ 嘉永2年6月24日(1791-1849)


漢詩人・幕府需官。


名、渙(あきら)。字、子玉。通称、雄助。


父、御徒押源兵衛。江戸出身。


少年時代に隣りの辺見氏に就いて句読を習う。


赤井東海(1787-1862)に師事。


その後昌平校に入り野村篁園(のむら - こうえん:1775 - 1843)に師事。


文化14年(1817)学問所出役。


天保13年(1842)昌平校儒員。


甲府徽典館学頭を経て昌平黌教授となる。


友野霞舟が子供時代に痘を患い、そのときのうわ言がみな「文選」の賦だったという逸話がある。


蜀山人(1749-1823)の門人でもあったが、白山の本念寺に蜀山人の墓を作り、お金がなく墓碑銘を彫ることができなかったという。


門下に川路聖謨(かわじとしあきら)・浅野梅堂。59歳。


著:「煕朝詩薈」百十巻、「錦天山房詩話」二巻、「霞舟吟」一巻、「霞舟文稿」一巻等。


戒名「静慎院霊光道覚居士」。


関連情報

http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/2076.html

1900 赤井東海墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)


 「綾部孺人之墓」とは霞舟の夫人墓。









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