酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

1763 犬養毅墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

犬養 毅(いぬかい つよし、1855年6月4日安政2年4月20日) - 1932年昭和7年)5月15日)は、日本政治家


位階正二位勲等勲一等通称仙次郎木堂子遠


中国進歩党総裁、立憲国民党総裁、革新倶楽部総裁、立憲政友会総裁(第6代)、文部大臣(第1331代)、逓信大臣(第2729代)、内閣総理大臣第29代)、外務大臣第45代)、内務大臣第50代)などを歴任した。


生涯
生い立ち
備中国賀陽郡庭瀬村(現・岡山県岡山市北区川入)で大庄屋郡奉行を務めた犬飼源左衛門の次男としてうまれる(後に犬養と改姓)。父は水荘と称した備中松山藩板倉氏分家の庭瀬藩郷士である。もともと、犬養家は庭瀬藩から名字帯刀を許される家格であったが、毅が2歳の時、父がコレラで急死する不幸に見舞われたため、生活はかなり苦しかったという[1]


同藩の経世学者楠之蔚の下で漢籍をおさめたのち[2]1876年明治9年)に上京して慶應義塾に入学し、一時共慣義塾渡辺洪基浜尾新主宰の塾)に通い、また漢学塾・二松學舍では三島中洲に漢学を学んだ。慶應義塾在学中に、郵便報知新聞(後の報知新聞)の記者として西南戦争に従軍(ちなみに、抜刀隊が「戊辰の仇!」と叫びながら突撃した事実は、一説には犬養の取材によるものとも言われている)。1880年(明治13年)藤田茂吉と共に、慶應義塾卒業前に栗本鋤雲(郵便報知新聞社主筆)に誘われて記者となる[3]


明治10年代はじめ頃に豊川良平と東海社を興し、『東海経済新報』の中心として保護主義経済(保護貿易)を表明している(田口卯吉らの『東京経済雑誌』は自由主義を表明し論戦となった)。統計院権少書記官をへて、1882年(明治16年)、大隈重信が結成した立憲改進党に入党し、大同団結運動などで活躍する。また『日本及日本人』などで軍閥、財閥批判を展開。


代議士として
1890年(明治23年)の第1回衆議院議員総選挙で当選し、以後42年間で18回連続当選という、尾崎行雄に次ぐ記録を作る。後に中国地方出身議員とともに中国進歩党を結成する(ただし、立憲改進党とは統一会派を組んでいた)が、進歩党憲政本党の結成に参加、1898年(明治31年)の第1次大隈内閣では共和演説事件で辞任した尾崎の後を受けて文部大臣となった。1913年大正2年)の第一次護憲運動の際は第3次桂内閣打倒に一役買い、尾崎行雄(咢堂)とともに「憲政の神様」と呼ばれた。しかし、当時所属していた立憲国民党は首相桂太郎の切り崩し工作により大幅に勢力を削がれ、以後犬養は辛酸をなめながら小政党を率いることとなった(立憲国民党はその後革新倶楽部となる)。


犬養は政治以外にも神戸中華同文学校横浜山手中華学校の名誉校長を務めるなどしていた。この頃、真の盟友である右翼の巨頭、頭山満と犬養は世界的なアジア主義功労者となっており、ガンジーネルータゴール孫文らと並び称される存在であった。1907年(明治40年)から頭山満と共に中国漫遊の途に就き、1911年(明治44年)に孫文らの辛亥革命援助のため中国に渡り、亡命中の孫文を荒尾の生家にかくまう。漢詩にも秀でており、書道家としても優れた作品を残している。漢詩人の井土霊山は『木堂雑誌』に掲載された記事で犬養の手紙を「先づ上手」と賞している[注釈 1]


詳しい事は『犬養毅ウィキペディア』を御覧下さい。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E9%A4%8A%E6%AF%85
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/373.html
359 上山草人墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/414.html
400 頭山満墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/419.html
405 金玉均墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/625.html
591 馬場辰猪墓(台東区・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/680.html
639 栗本鋤雲住居跡(墨田区石原3丁目)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1462.html
1348 武富時敏墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5497.html

5001 浜尾新墓(豊島区駒込5-5-1・染井霊園)


https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7865.html
6832 甲斐軍治墓(文京区向丘2-26-9・真浄寺)


https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7862.html

6833 金 玉均墓(文京区向丘2-26-9・真浄寺)


 犬養毅


 武者小路 実篤さんによる文です。