酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


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1577 伊集院五郎墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

伊集院 五郎(いじゅういん ごろう、嘉永5年9月28日1852年11月9日) - 大正10年(1921年1月13日)は、日本海軍軍人元帥海軍大将正二位勲一等功一級男爵


経歴
薩摩藩士の子として生まれ、明治10年(1877年)の西南戦争に参戦する。イギリスの海軍兵学校・海軍大学校で兵学を学んでいたため、日本海軍の中でも博識であった。海兵5期


下瀬雅允海軍技師が開発した下瀬火薬の威力を発揮させるため、伊集院信管を開発した。この信管は明治38年(1905年)の日本海海戦日露戦争中)で、下瀬火薬とともにその威力を発揮し、連合艦隊がロシアバルチック艦隊を撃破する大きな要因となった。そのため伊集院は、「日本海海戦勝利の影の功労者」と言われている。


日露戦争後は第二艦隊司令長官、第一艦隊司令長官を歴任した。第一艦隊司令長官時代に行った猛訓練は「月月火水木金金」といわれ、後に同名の軍歌が作られるに至った。


大正6年(1917年元帥府に列せられた。


年譜
※日付は明治5年までは旧暦


嘉永5年(1852年9月28日 薩摩藩士 伊集院才之丞の長男として生まれる
明治4年(1871年9月24日 海軍兵学寮幼年学舎入り
・明治9年(1876年9月5日 軍艦筑波」乗組
・明治10年(1877年11月9日 イギリス留学(深尾弘とともに「学業進歩」により選抜される)
・明治12年(1878年8月16日 戦艦「トライアンフ」 (Triumph) 乗組
・明治13年(1880年10月4日 「トライアンフ」航海士
・明治15年(1882年
1月22日 「トライアンフ」退艦
10月1日 英国王立海軍大学 (Royal Naval College) 入学
・明治16年(1883年
  ・6月 王立海軍大学卒業
  ・11月27日 任 海軍中尉
・明治17年(1884年)5月 「浪速」「高千穂」「畝傍」三艦武器監督
・明治18年(1885年
  ・6月20日 任 海軍大尉
  ・12月26日 「浪速」乗組
・明治19年(1886年
  ・6月26日 帰国
  ・7月14日 参謀本部海軍部第1局課員
・明治21年(1888年5月14日 海軍参謀本部第1局員
・明治22年(1889年
  ・3月9日 海軍参謀部第1課員
  ・5月27日千代田」回航委員・英国出張
・明治23年(1890年
  ・1月10日 「千代田」副長心得
  ・10月16日 任 海軍少佐・「千代田」副長
・明治24年(1891年4月11日 帰国
・明治25年(1892年6月3日 常備艦隊参謀
・明治26年(1893年
  ・3月13日 海軍参謀部第2課員
  ・5月20日 軍令部第1局局員
・明治27年(1894年
  ・6月7日 大本営参謀官
  ・7月13日 兼軍令部第2局長心得
  ・12月7日 任 海軍大佐・軍令部第2局長兼大本営参謀官 
・明治28年(1895年6月4日 軍令部第1局長
・明治30年(1897年12月27日 兼軍令部第2局長
・明治31年(1898年
  ・3月4日 免 軍令部第2局長
  ・11月10日 軍令部次長心得
・明治32年(1899年9月26日 任 海軍少将・軍令部次長兼将官会議議員
・明治35年(1902年3月17日 常備艦隊司令官
・明治36年(1903年9月5日 任 海軍中将・軍令部次長兼将官会議議員
・明治39年(1906年
  ・1月9日 艦政本部長
  ・11月22日 第2艦隊司令長官
・明治40年(1907年9月21日 男爵
・明治41年(1908年5月26日 第1艦隊司令長官(同年10月から11月まで連合艦隊司令長官を兼任)
・明治42年(1909年12月1日 軍令部長兼将官会議議員
・明治43年(1910年)12月1日 任 海軍大将
大正3年(1914年4月22日 軍事参議官
・大正6年(1915年5月26日 元帥
・大正10年(1921年1月13日 死去


詳しい事は『伊集院五郎ウィキペディア』を御覧下さいませ。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%9B%86%E9%99%A2%E4%BA%94%E9%83%8E
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5494.html

5000 下瀬雅允墓(豊島区駒込5-5-1・染井霊園)


 伊集院五郎