酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

1576 吉川惟足墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

吉川 惟足(よしかわ これたり、元和2年(1616年) - 元禄7年11月16日1695年1月1日))は、江戸時代前期の神道家。初名は元成と称し、惟足・従時と称した。


尼崎屋五郎左衛門と称し、号は視吾堂・相山隠山・相隠士。


吉川神道の創始者。姓は「きっかわ」、名は「これたる」とも読む。


経歴

出生から後に江戸日本橋の魚商に養子に入り家業を継いだが、商いがうまくいかなかったことから鎌倉へ隠居した。


1653年承応2年)京都へ出て萩原兼従の門に入って吉田神道の口伝を伝授され、新しい流派を開いた。


その後江戸に戻り将軍徳川家綱を始め、紀州徳川家加賀前田家会津保科家などの諸大名の信任を得、1682年天和2年)幕府神道方に任じられ、以後吉川家の子孫が神道方を世襲した。


著作

「玉伝秘訣」「土金之秘訣」「君道伝」平重道校注『日本思想大系 近世神道論・前期国学』岩波書店、1972  


関連項目

神道

吉川神道

(wikiより)










にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ にほんブログ村

のバナーを「ポチッ」押して応援して頂くと管理人の励みになります。