酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

1573 金井延墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

金井 延(かない のぶる、1865年2月26日元治2年2月1日) - 1933年8月13日)は日本の法学者経済学者社会政策学者法学博士


日露戦争開戦に際し、強硬に主戦論を主張したことで知られる。戸水寛人らを含む「東大七博士」のひとり。


人物

静岡県出身。東京帝国大学を卒業した後、ドイツへ留学し、グスタフ・フォン・シュモラーアドルフ・ワグナーらに師事。帰国後は社会政策学会に参加しその中心メンバーになるとともに、東京帝国大学にて、法科大学教授。同大学で1919年に経済学部が新設されると、初代学部長。1925年まで教授を務めた。ドイツにて修得した経済学、社会政策の立場に基づき、帰国後社会政策学会に参加して中心メンバーとなり、自由主義経済への批判や、国家による労働者の保護および金銀複本位制度などの提唱を行った。娘、国子は河合栄治郎の妻。


日露戦争に先立つ1903年6月、戸水寛人富井政章寺尾亨高橋作衛小野塚喜平次中村進午らと共に開戦論を主張する意見書(七博士意見書)を提出し、世論を開戦の方向へと位置付けた。また、日露講和条約にも反対の主張を行うなどしている。


1908年11月28日、帝国学士院会員となる[1]


栄典

1891年(明治24年)12月21日 - 正七位[2]

1897年(明治30年)2月10日 - 正六位[3]

1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章[4]

1921年(大正10年)7月1日 - 第一回国勢調査記念章[5]

1924年(大正13年)6月30日 - 勲一等瑞宝章[6]


著書

『経済学の近況と講壇社会主義』

『社会経済学』


脚注

1. 『官報』第7629号、明治41年11月30日。

2. 『官報』第2545号「叙任及辞令」1891年12月22日。

3. 『官報』第4081号「叙任及辞令」1897年2月12日。

4. 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。

5. 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。

6. 『官報』第3559号「叙任及辞令」1924年7月4日。


関連項目

七博士意見書

高野岩三郎 - 福田徳三

社会政策学会

和田垣謙三

(wikiより)


 金井延










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