酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

1230 中島力造墓(豊島区南池袋4丁目・雑司が谷霊園)

中島 力造(なかじま りきぞう、安政5年1月8日1858年2月21日) - 大正7年(1918年12月21日)は倫理学者。同志社英学校最初の学生のひとりで開校当初元良勇次郎上野栄三郎とともに真っ先に駆けつけた。


経歴
丹波国福知山(現京都府福知山市)出身。明治11年(1878年)、新島襄津田仙の要請を受け学農社の教師として中島を東京に送り出し、それに伴い退学。


明治13年(1880年)、渡米。ウエスタン・レゾルス・アカデミーに入学し卒業後、イェール大学に進学しPh.Dを取得。イェール大学講師を勤めその後、イギリスドイツに留学。


明治23年(1890年)に帰国し、第一高等学校講師を経て帝国大学文科大学教授に就任。倫理学の講座を担当した。


日本に初めてT・H・グリーンの思想を導入。その普及に努め、功利主義から理想主義への倫理学の拡充を図り、倫理学の学としての独立性を確立した。personalityやpersonの訳語として「人格」を定着させたのも彼の功績である(もともと「人格」という語はカント哲学に基づく倫理学的用法によるものだった)。


1918年、心不全と肺炎のため死去[1]


妻は俳人の大野洒竹の次姉。中島の次女は実業家の川上嘉市夫人、三女は物理学者の竹内時男夫人となった。


脚注
1. 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)20頁
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/302.html
289 上野英三郎墓と忠犬ハチ公碑(港区南青山2-32-2・青山霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/4180.html
3836 新島襄海外渡航の地碑(函館市大町11)










にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ にほんブログ村

のバナーを「ポチッ」押して応援して頂くと管理人の励みになります。