酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

1223 浅草三十三間堂跡(台東区松が谷2-14-1・矢先神社)

『文政町方書上 ( まちかたかきあげ )』によると、寛永十九年 ( 1642 ) 十一月二十三日、弓師


備後 ( びんご ) が浅草において、幕府から六千二百四十七坪八合の土地を拝領し、三十三間堂を創建した。


位置はこの付近一帯と推定される。


堂創建に際し、備後は矢場 ( やば 弓の稽古場 ) を持つ京都三十三間堂にならい、堂の西縁を矢場とし、その北方に的場を設けた。


ここでの稽古は京都の例にならって、堂の長さを射通す「通矢 ( とうしや )」の数を競った。


元禄十一年 ( 1698 ) 九月六日、世に「勅額火事」と呼ぶ江戸大火が起こり、三十三間堂も焼失。


跡地は公収された。


同十四年に替地を給され、三十三間堂は深川に移転して再建。


以後、両者を区別するため、浅草・深川の地名を冠して呼ぶのが通例になった。


矢先 ( やさき ) 稲荷神社は的場に隣接していたのにちなみ「矢先」の名が付されたという。
(案内板より)










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