酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

1221 六代目・尾上菊五郎墓(豊島区南池袋4丁目・雑司が谷霊園)

六代目 尾上 菊五郎(ろくだいめ おのえ きくごろう、1885年明治18年)8月26日 - 1949年昭和24年)7月10日)は大正昭和時代に活躍した歌舞伎役者。屋号音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪俳名に三朝がある。本名は寺島 幸三(てらしま こうぞう)。


初代中村吉右衛門とともに、いわゆる「菊吉時代」の全盛期を築いた。歌舞伎界で単に「六代目」と言うと、通常はこの六代目尾上菊五郎のことを指す。


概要
来歴
五代目尾上菊五郎の長男。実弟に六代目坂東彦三郎、義兄に六代目尾上梅幸がいる。
 ・1886年(明治19年)5月 - 東京千歳座で尾上幸三の名で初舞台。まだ乳飲み子で三代目中村傳五郞に抱かれてのお目見得だった。
 ・1901年(明治36年)年3月 - 東京歌舞伎座で父の死後、九代目市川團十郎の後援で『寿曽我対面』の曽我五郎で六代目尾上菊五郎を襲名。
大正時代、初代中村吉右衛門とともに市村座(下谷区二長町)で活躍し、「菊吉時代」「二長町時代」を築いた。世話物と舞踊に優れ、家の芸として五代目の新古演劇十種を引き継いだ。吉右衛門の脱退後、市村座を支えた。
 ・1927年(昭和2年) - 歌舞伎座に移る。
 ・1947年(昭和22年) - 日本芸術院会員。
 ・1949年(昭和24年)4月 - 東京劇場盲長屋梅加賀鳶』の道玄をつとめる最中に眼底出血で倒れる。
 ・7月 - 死去。
 ・1949年(昭和24年)11月 - 歌舞伎役者として初めて文化勲章を受章(死去日に溯っての追贈)。
辞世の句は「まだ足らぬ 踊りおどりて あの世まで」。


人物
立役女形もこなしたが、殊に九代目市川團十郎に仕込まれたこともあり、『藤娘』の藤の精や『京鹿子娘道成寺』の白拍子花子などの娘役の舞踊を得意としていた。身体は比較的大柄だったが、通常より大きな大道具を舞台上に組むことによって可憐さを表現する手法を確立した。ただし菊五郎家伝来の怪談物は得意とせず、父の当たり役だった『東海道四谷怪談』のお岩は一度しかつとめていない。体質的に近代風の芸だったので、尊敬する役者はどうしても九代目や初代中村鴈治郎といった新しい芸を開拓した先輩たちだった。


近代的な解釈を取り込むことに意欲的で、『新版歌祭文』「野崎村」のお光では幕切れに久作にとりついて泣き崩れる型を考案した。『近頃河原達引』「堀川」の与次郎では、その真に迫った表現力に舞台を共にした二代目實川延若は「ほんまにうまい。けど、西洋の活動役者と共演したような気分だす」と言わしめている[1]


役柄
当たり役は非常に多い。
・時代物
仮名手本忠臣蔵』の早野勘平・高師直・お軽
義経千本桜』「鳥居前」「すし屋」「四ノ切」のいがみの権太・佐藤四郎兵衛忠信・新中納言平知盛
菅原伝授手習鑑』の舎人松王丸・武部源蔵
源平布引滝』「実盛物語」の斎藤別当実盛
妹背山婦女庭訓』のお三輪
鏡山旧錦絵』の局岩藤
ひらかな盛衰記』「源太勘当」の姉輪平次
本朝廿四孝』「十種香」の八重垣姫、腰元濡衣
鬼一法眼三略巻』「菊畑」の虎蔵・皆鶴姫
勧進帳』の源義経
義経腰越状』「五斗三番叟」の五斗兵衛
伽羅先代萩』の乳母政岡・仁木弾正・弾正妹八汐
摂州合邦辻』「合邦庵室」の玉手御前


・世話物
新版歌祭文』「野崎村」の久作娘お光・油屋お染
傾城反魂香』「吃又」の浮世又平
三人吉三巴白浪』(三人吉三)のお嬢吉三・お坊吉三
盲長屋梅加賀鳶』(加賀鳶)の按摩道玄・天神町梅吉
助六曲輪菊』(助六)の花川戸助六
水天宮利生深川』(筆幸)の筆屋幸兵衛
天衣紛上野初花』(河内山)の片岡直次郎
曾我模様侠御所染』(御所五郎蔵)の御所五郎蔵
梅雨小袖昔八丈』(髪結新三)の髪結新三
青砥稿花紅彩画』(白浪五人男)の弁天小僧菊之助


・舞踊
藤娘』藤の精
京鹿子娘道成寺』の白拍子花子
羽根の禿』の禿梅野
花翫暦色所八景』(年増)の年増女
船弁慶』の静御前実ハ新中納言平知盛
積恋雪関扉』の小野小町姫・傾城墨染実ハ小町桜の精
廓文章』「吉田屋」の藤屋伊左衛門
『義経千本桜』「吉野山(道行初音旅)」の佐藤忠信・静御前
春興鏡獅子』お小姓弥生後ニ獅子の精
棒しばり』の太郎冠者
身替座禅』の山陰右京


・新作
『巷談宵宮雨』(宇野信夫作)の龍達
一本刀土俵入』(長谷川伸作)の駒形茂兵衛
『息子』(小山内薫作)の金次郎


ジャン・コクトーは来日時に菊五郎の『春興鏡獅子』を見て感動し、「名優菊五郎は俳優ではなく、むしろ舞台の上の神主である」「扇の踊りは一生忘れないだろう」といった感想を残している[2][3]。『春興鏡獅子』はこの後小津安二郎の監督によって記録映画『鏡獅子』に残され、その至芸を今日に伝えている。


詳しい事は『六代目・尾上菊五郎ウィキペディア』を御覧下さいませ。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E4%B8%8A%E8%8F%8A%E4%BA%94%E9%83%8E_(6%E4%BB%A3%E7%9B%AE)
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3767.html
3497 二代目・市村羽左衛門墓(江戸川区西瑞江2-38-7・大雲寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3768.html
3498 三代目・市村宇左衛門墓(江戸川区西瑞江2-38-7・大雲寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3769.html
3499 四代目・市村宇左衛門墓(江戸川区西瑞江2-38-7・大雲寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3770.html
3500 五代目・市村宇左衛門墓(江戸川区西瑞江2-38-7・大雲寺)


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3501 六代目・市村宇左衛門墓(江戸川区西瑞江2-38-7・大雲寺)


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3502 七代目・市村宇左衛門墓(江戸川区西瑞江2-38-7・大雲寺)


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3503 八代目・市村宇左衛門墓(江戸川区西瑞江2-38-7・大雲寺)


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3504 九代目・市村宇左衛門墓(江戸川区西瑞江2-38-7・大雲寺)


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3505 十代目・市村宇左衛門墓(江戸川区西瑞江2-38-7・大雲寺)


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3506 十一代目・市村宇左衛門墓(江戸川区西瑞江2-38-7・大雲寺)


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3507 十二代目・市村宇左衛門墓(江戸川区西瑞江2-38-7・大雲寺)


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3508 十三代目・市村宇左衛門墓(江戸川区西瑞江2-38-7・大雲寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3779.html
3509 十四代目・市村宇左衛門墓(江戸川区西瑞江2-38-7・大雲寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3780.html
3510 十五代目・市村宇左衛門墓(江戸川区西瑞江2-38-7・大雲寺)


Kikugorō Onoe VI as Kan Shōjō.jpg

 六代目・尾上菊五郎










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