酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

1220 山本忠興墓(豊島区南池袋4丁目・雑司が谷霊園)

山本 忠興(やまもと ただおき、1881年6月25日 - 1951年4月21日)は日本の電気工学者発明家教育者


略歴

高知県出身、植村正久の指導でキリスト教に入信。


高知県尋常中学校第一高等学校を経て、1905年東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業、芝浦製作所に入り、1909年から2年間、欧米に留学して電気機械設計を学んだ。


帰国後、叔父である竹内明太郎が新設に尽力した早稲田大学理工科にまねかれ、1912年教授に就任。


1917年7月16日、工学博士の学位を取得[1]。電気工学科教務主任や理工学部長を歴任した[2]


電気機械の発明者として知られ、とくにテレビジョン研究が有名で、1925年川原田政太郎らとともに研究に着手、1930年には早大式テレビを完成、公開した。


1930年、この発明により十大発明家の一人として宮中賜餐の栄に浴した。


1931年に朝日賞を受賞。


1934年早稲田大学を辞任し、内閣調査局専門委員、日本基督教青年会同盟委員長をつとめたが、1943年再び早稲田大学理工学研究所所長に就任する。


日本聾話学校長、東京女子大学理事長、久我山電波工業専門学校長、国際基督教大学評議員会会長などを兼務、そのほか世界日曜学校協会副会長もつとめた。また国際基督教大学の創立に尽力。


スポーツ指導者としても、早稲田大学野球部早稲田大学競走部の部長、早稲田大学体育会長[2]学生陸連会長、1928年のアムステルダムオリンピック日本選手団総監督などを務め、足跡を残した。


脚注

1. 『官報』第1545号、大正6年9月25日。

2. ab 山本忠興資料 - 早稲田大学


参考文献

日本大百科全書『山本忠興』〈菊池俊彦

講談社 日本人名大辞典『山本忠興』

ブリタニカ国際大百科事典 小項目版『山本忠興』


関連項目

織田幹雄

(wikiより)










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