酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6867 遠藤謹助墓(東京都文京区湯島4-1-8・麟祥院)

遠藤 謹助(えんどう きんすけ、天保7年2月15日(1836年3月31日) - 明治26年(1893年)9月13日)は、明治時代の長州藩出身の官僚で長州五傑の一人。


経歴
文久3年(1863年)、密かに英国に井上馨、山尾庸三、伊藤博文、井上勝の4人と共に留学し、慶応2年(1866年)に帰国。同年、英国公使ハリー・パークスはジョージ・キング提督に長州藩を訪問させる事とし、井上馨らは三田尻で出迎えて饗応し、翌日停泊する英国艦提督室で毛利敬親父子との会見が実現した。この時遠藤と井上が通訳をした。


明治維新後は、明治3年(1870年)から死去する26年(1893年)まで造幣局に務めた。明治7年(1874年)には指導責任者であるイギリス人のお雇い外国人トーマス・ウィリアム・キンドルと衝突し、造幣局を去るが、明治8年(1875年)1月にはオリエンタル・バンクと契約を解消し、キンドル他9人のお雇い外国人が解雇されると、再び造幣局に戻る。明治14年(1881年)には造幣局長となっている。


毎年4月中旬の1週間、局内の桜並木を一般公開する大阪造幣局「桜の通り抜け」は明治16年(1883年)に当時の局長だった遠藤の指示により始まり、現在も大阪の春の風物詩として継承されている。



栄典
・1884年(明治17年)6月30日 - 正五位[1]


脚注
1. 『官報』第301号「叙任及辞令」1884年7月1日。


関連項目
・長州五傑 - 井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)の5名
(wikiより)


 遠藤謹助